位置と寺名の由来

松広寺は、韓国の南西地方の全羅南道順天市松広面にある曹渓山のふもと、奥ゆかい松の森に囲まれてたたずんでいる。

文殊殿

松広寺という名前には幾つかの由来がある。

その一つに、松広寺という文字、その名前、そのものにまつわったもので、‘松'を砕いて見ると、十八(木)+公となり、十八人の大師のことを示し、‘広'は仏法を広めることです。 即ち 、18人の大師が輩出し、仏様の教えを説き広めるお寺を意味する。

次に、 今日の松広寺の礎を修した普照国師知訥と関係した物語である。国師がその当時、堕落した高麗の仏教界を浄化するために起こした運動である定恵結社を移す場所を求めていたところ、 松広寺 の 近 くにある 母后 という 山 から 木製 のトビを 飛 ばした 時 、それが 現在 の 国師殿 に 舞 い 降り た。そういうわけで、その 場所 を 悉 ? 臺 ( トビが 舞 い 降 りた 臺 ) となずけた。 近代 における 有名 な 詩人 でもあり 僧 である 崔南善は 、この 物語 を 基 に 松広 の 意味 をトビ ( 韓国語 のなまりでトビをソルゲという ) とよび、 松広寺 をソルゲのお 寺 と 解釈 した。

最後 に、 元々山 に 松 が 多 いいと 松 の 山 の 意味 である ' ソルメ ' と 言 い、それにちなんで 松広山 と 呼 んだ。それがお 寺 の 名 となったそうだ。

開創 および 中興

現存 する 記 録 によると、 松 広 寺 は 新羅末 の恵 ? 禅 師 によって 開創 されたといわれる。 開創当時 の 名 は 松 広 山 ( 吉祥寺 ) であった。元々はあまり 大 きくないお 寺 であり、 規模 は 約 100 間 ぐらいで、 30 人 から 40 人 の 僧 が 修行 できるようであった。その 後 、 高麗時代 の仁宗の 時 、 釈照 がお 寺 を拡張しようと 願 をかけたが 志 し 半 ば 亡 くなった。